2003年初日記

新年明けてから、初めての日記です。
年末の第九の嵐で、やはり結構疲れて、その疲れを新年に持ち越してしまいました。
第九は歌う部分は決して多くないけれど、1週間で5回本番というのはやはりちょっとアブノーマルでした・・・。

ゲラに来てから良く思うのですが、ステージに出る時間がどんなに短くても、歌う箇所がどんなに少なくても、「本番」というのは疲れるものですね。お客様の前に自分をさらすという行為が、歌う量の多い少ないにかかわらず一定のエネルギーを消費させるのだと思います。

ですから、この第九はやはり大変でした。
それに東京での3回は、毎回違う...


ホールで歌ったので、毎回GPがあったわけで、GPのためにもウォーミングアップをして、本番のためにもウォーミングアップをして・・・というのを3日続けたのですから、やはり疲れましたね。
そして1日空けて大阪に移動して、またオケ合わせ、GP、本番2回と続きましたから。
それにこの「空いた1日」に僕は休養を取っていたのでなくてアラベッラの稽古に出ていたのです。
もう大阪から帰ってきたときは、がっくり、という感じでした。(本番は大阪でもとても気持ちよく歌わせていただきましたが)

で、今はアラベッラ。
この「アラベッラ」のマンドリカという役は、前にも書きましたが、ずっと僕が夢みていた役で、ずっと歌いたかった役です。だから、嫌なことがあっても、疲れていても、稽古場に行ってマンドリカを歌っていると家に帰る頃にはすっかり上機嫌になっているのです。
こんな事は本当に初めて!稽古場でみんなに「幸せだねぇ君は」といわれてます。
「演じて楽しい」という役はたくさんあったけど、「歌っているだけで、もう幸せ」という役は初めてなんですよ。思えば、大学院の修了試験でこのマンドリカを取り上げたのが11年前。それ以来ずっと頭のどこかで「マンドリカをいつか歌いたい・・・」と思って、この11年間歌ってきたようなところがあるのです。

これまた年月の話になりますが、一昨日僕らは10回目の結婚記念日を迎えました。これも自分たちでびっくりしてしまったようなところがあります。もう10年一緒にいるのかぁ・・・という感じ。はやいものだ、と単純に言える年月でもないですが、やっぱりはやかったかなぁ。
当時は10年後を全然見据えてはいなかったけれど、こんな自分の「夢の役」を新国立劇場で歌えるようになるなんて事は全く想像できなかったですね。今はその頃よりも少しは「10年後」を考えて行動しなくちゃと思っています。健登のこともあるしね。二人で気ままにやるわけにもいかんですからね。
この間ジョイントリサイタルを一緒にやった石井真紀ちゃんが、彼女のホームページ上のエッセイでうちの嫁さんのことにちょっと触れてくれていますが、今僕がこうして歌手としての活動に全身全霊を傾けられるのも、嫁さんのこの10年のサポートのおかげです。僕にとっては一番「怖い」人でもありますが(僕の声のことを最も熟知している「批評家」ですからね・・・)、これからも二人三脚で(健登も入れたら三人四脚か?何だか転びそうだな)頑張っていきたいと思います。皆さん今後ともどうぞよろしく。
2003年1月12日(日)スクリプトで読み込み

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