「フィガロの結婚」アルマヴィーヴァ伯爵役 1989年3月
1989年9月
1993年3月
1994年9月
2000年7月
2004年3月
この劇場の専属歌手になってから、僕に回ってきた役は全て悲劇的な役ばかりでした。この「フィガロの結婚」が初めての喜劇と言うことになります。アルマヴィーヴァ伯爵は決して三枚目とはいえませんが、単なる二枚目では決してありません。そう言う意味では、僕の新しい面をこの劇場で見てもらう機会でもありました。
ちょっと日記にも書いたのですが、僕が今までヒーロー的な役ばかりを演じてきたせいか、結構「あいつには喜劇的な役は出来ないに違いない」というような陰口をきかれているのです。でもまぁ今回のフィガロを見てもらえれば多分、僕が如何に喜劇というものを大切にしているか理解していただけることでしょう。うふふ。
「フィガロの結婚」のプロダクションはこれで実に8つ目。今までにアルマヴィーヴァ伯爵を5回、フィガロを2回演じました。
ドイツでこの回数を言うと結構驚かれます。レパートリーシステムが定着しているドイツでは、公演回数が多い反面、こんなにいろいろな演出を短期間にやるということはあり得ないわけです。日本では本番がせいぜい2〜3回ですし、「フィガロの結婚」という演目は大変人気がありますから、僕の年齢でこれが8つ目の「フィガロの結婚」プロダクションという事が起こるのです。日本の僕の先輩方には二桁のプロダクション経験者が決して少なくないはずです。
音楽的にはやっぱりアルマヴィーヴァ伯爵の方があっているんですが、フィガロをやったときは、やってみて初めて自分とフィガロという役の新しく素敵な出会いがあり、フィガロも機会があったら是非もう一度歌いたいと思っています。2回目にフィガロを歌ったのは水戸市民オペラで栗山昌良先生の演出だったのですが、このときは栗山先生の演出も素晴らしかったし、演出助手だった岩田達宗氏との共同作業も非常に意義深くて、本格的な「同志」としてのつきあいをはじめるきっかけになりました。そして水戸の方々を中心にした歌手陣が実によかったんです。僕とペアを組んでくれた鎌形由貴乃さんのスザンナはいまだに忘れられませんねー。
まぁ今は伯爵。この伯爵という役はこれが6回目という事もあり、結構「つぼ」はわかっています。どこでお客さんに笑っていただけるかもね。
これもちょっと日記に書いたけど、今回は指揮者となかなかうまく行かなくて苦労しました。彼は来シーズンうちの劇場の常任指揮者に就任する人で、今シーズン中はゲスト指揮者としてフィガロを振るわけです。このスロヴィンスキー氏とは、僕は「ランメルモールのルチア」の本番を一度やっています。この本番が彼にとって常任指揮者の契約を取る上での「試験」だったのです。
ここであまり彼の悪口書くのもなんだけど、まぁかなり困りました。音楽稽古をはじめた頃は、彼と言い合いになる僕を、同僚が「お前一体どうしたんだ、いつもおとなしいのに」みたいな目で見て、次々に僕のところに来て「あれは良い指揮者だ。自分にはわかる。彼の言うとおりに歌う勇気を持て」なんて説得に来るんですよ。もう。
でも、プレミエが近付く頃には、歌手が異口同音に指揮者の悪口を言うようになっていました。そのポイントといえば僕が音楽稽古で指摘した点ばかり。どうしてこうなることが読めなかったんだろう・・・と思っても仕方ないですね。「やってみないとわからない」というのはドイツ人のモットーだから。いや、これはちょっと違うな。日本人に比べると想像力が著しく欠如しているので僕はいつもこう思っちゃうんだけど。
指揮者の彼との問題のひとつ(あくまでも、数あるうちの一つ)は、彼が演出のコンセプトとも歌手の意見とも関係なく役のキャラクターなどを決めたがったことです。
彼のインスピレーションはもちろん音楽解釈者の意見として尊重されるべきなんだけど、この「フィガロの結婚」というのはとにかく入り組んだ話で、残念ながら彼はその全てのロジックを理解していなかった。
2幕から3幕にかけては匿名の手紙やら、内緒の恋文やら、その上お小姓を兵隊に出す辞令とか、フィガロが借りたお金の証文とか、書類や手紙が沢山出てきます。また、どの部屋にドアがいくつあって、そのドアがどこにつながっているか、そのドアの鍵は今かかっているのか、誰が鍵をかけたのか、鍵はドアにささっているのか。そして、フィガロが何とかスザンナとの結婚を今日中に済ませようと合唱を巻き込んで実行に移す作戦、伯爵夫人とスザンナと共に実行する、匿名の手紙で伯爵をだまそうとする作戦、それが失敗したので伯爵夫人が更に立てた作戦、部屋に閉じこもっているケルビーノとスザンナが入れ替わる作戦・・・。裏工作が多いと、「この裏工作は誰が知っていて、誰が知らないんだっけ?」とすぐ混乱してしまうのです。
だから、彼が誤った論理を元に音楽稽古をしてキャラクター作りをしようとすると、僕はいちいち「いや、ここで僕はフィガロのたくらみは知っているが知らないふりをしているところだから」とか「でも、伯爵夫人が伯爵とスザンナとの逢い引きの事を知っているとは伯爵はわかっていないから」とか、反論せざるを得なかったのです。だって、そこで受け入れていたら僕が嘘を演じることになるからね。
こんな有名な作品なのに、他の同僚達があまり「フィガロの結婚」のことを知らないので僕は驚きました。だって指揮者の間違った指示を受け入れて平気で歌っているんだもの。
結局は、その後立ち稽古があるわけだし、それらのことは整理され、僕が最初に思い描いたとおりになったわけですが。(ならなくちゃ困っちゃうんですけどね。)
嫁さんが3公演目を見に来てくれたんだけど、僕の伯爵としての表現がこれほどはっきりしていたことは今までになかったという事で、これは嬉しかったですね。東京の劇場よりサイズが小さいから顔の表情もより良く見えるだろうし。デュッセルドルフから駆けつけてくれた高校の同級生と奥様にはプレミエを見てもらったんだけど、「最初は同じ日本人だから表情が生き生き見えるのかなぁなんて思ってたんだけど、そうじゃなくて小森の表情が一番生き生きしてたんだな」と言ってくれました。これも嬉しかったな。
この演目は本番が多いので、これからもアドリブを入れて工夫を重ねていこうと思います。演出家が毎回見に来ているから羽目ははずせないし、もちろん僕は演出家のコンセプトに反するようなアドリブを入れることはしませんが、本番での「ライブ性」を持ち続けるためにも、工夫を続けることはひとつの方法ですね。
これまでに4公演歌いましたが、来週イースター休暇あけの「ナブッコ」を挟んでまた2公演あります。楽しもうと思います。
演出家のブリューアー教授はただでさえが比較的ゆっくりな人である上に、不安定な天候のせいか病欠者が続出して、今回のプロダクション、実はプレミエの日程を延期する話が出たくらい稽古が遅れていました。
普段休日に稽古が入ることはないのですが、最後の日曜は8時間稽古が入って、結局最後3週間は全く休み無しという感じでした。その上、どういうわけかこの稽古が詰まってくる次期に再演もの、コンサートが相次いで、僕も「ナブッコ」「さまよえるオランダ人」「フィレンツェの悲劇」のオペラ再演の他、「ニーベルングの指輪」抜粋コンサートでの「ヴォータンの別れ」などを歌いながらの立ち稽古で、これは本当にきつかったです。
どの本番の日も午前中は4時間しっかり立ち稽古をしてから夜に別の作品の本番という日々で、神経もかなりすり減りました。体調維持の事など、経験としては今後活きるとは思いますが・・・まぁそうでも思わないとやっていられないと言うのが本当のところです。
「フィガロの結婚」のプレミエの翌日から次の演目「椿姫」の音楽稽古が始まってしまい、これはさすがに抗議して延ばしてもらいました。どちらにしても今月末から立ち稽古なので、さっさと暗譜しなくちゃいけないんですけど。問題は室内歌劇場の「インテルメッツォ」をこの忙しさの中で暗譜できるかです・・・。
批評も、好意的でした。ここにある写真の記事には「熟した業績を示したのはコモリテルヒコの伯爵である。声楽的に素晴らしく、ベストの発音の明晰性とともに、身振りや演技で、優れた役者のための作品に含まれる感情の高ぶりなどの豊富さを示した」とあります。
この間のヴァーグナーコンサートの時もそうだけど、最近、特にドイツ語の発音のことを取り上げて誉められることが多いですね。アジア人のドイツ語発音が良いということが珍しいんでしょうかね。
他の新聞では「重いイタリア物をにおいては、うらやましいほど猛烈なパワーと太い響きで、うってつけの演奏をしているコモリテルヒコは、モーツァルトにおいては、いささかごつすぎる印象を与えた」と書かれたりもしました。まぁ声のことはちょっと課題があるにはあるので、これから取り組みたいと思います。
(2004.4.8)