一昨日の「第六の時」アルテンブルクでのプレミエに際して、クレズニックの発言がDPA(ドイツ通信社)とのインタビューという形で新聞に出ていました。
これは今世間を騒がせているニュースの一つ、アメリカ兵のイラクの収容所での虐待問題に関することです。
ちょうど、時期を同じくしてアルテンブルクでプレミエを迎えたこの「第六の時」は、題材がまさに「拷問」なのです。カフカの「ある流刑地の話」という短編が原作ですが、これは、その流刑地で、拷問マシンに取り憑かれた将校の話なのですね。そして、タイトルの「第六の時」というのは、長い時間をかけて行われるこの拷問が始まって6時間経った...
ときのことを指していてい、この「どんな愚かしい被刑者も静かになって理性が生まれる」瞬間に将校は取り憑かれてしまったのです。異常な話です。
このカフカの「ある流刑地の話」は、「拷問」をテーマにした文学の先駆けとしての意義が大きいという事をどこかで読みましたが、この後、こういう文学が増えてくるんですかね?
クレズニックの主張は、「劇場は再び政治的にならなければならない」「舞台は再び、もっと今日的な政治問題に取り組まなくては行けない」ということです。
「我々は娯楽だけを提供するのではなく、討論の題材を提供しなくてはいけない」とクレズニックは言うのだけど、僕は今ひとつ賛成できません。彼が政治的主張をしたいのなら、彼が政治家になるべきなのではないだろうか。劇場に来る人たちが求めているものは夢であって現実ではないと思うのですが。
この秋にクレズニックはイスラエルの壁の建設についての作品を演出するつもりだそうです。
クレズニックの記事はここで読めます。
2004年5月18日(火)スクリプトで読み込み