デュオ・リサイタルとは?

掲示板でえーちゃんさんが質問して下さった事が、テーマとして興味深いと思ったので、日記として書くことにしました。もったいぶっているようですが。
今年夏に予定されている、ピアニストの服部容子さんとのデュオ・リサイタルの情報をアップしたところ、えーちゃんさんが「ピアニストさんとの「デュオ・リサイタル」と「小森輝彦バリトンリサイタル」伴奏/○▲□△氏とはどう違うのですか?」という質問をして下さいました。


簡単に言ってしまうと、今回のデュオ・リサイタルではピアニストの服部容子さんのソロ演奏もあります。F.リストの「二つの伝説」がそうですが、これはバリトン・リサイタルの場合は僕のソロだけになりますね。まぁオペラ歌手がオーケストラ伴奏でアリアの夕べをやったりするときなどはオーケストラがオペラの序曲なども演奏することが多いですが、これはちょっと事情が違いますね。
もうひとつ、こっちが僕にとっては重要なんだけど、今回のプロクラムの一つの重心は、前半の「詩人の恋」にあります。リート演奏の場合は、ピアニストは「伴奏者」とは呼べないと僕は思っています。大体、伴奏者という言葉はあまり僕は好きではないです。それでも必要があって使ってしまうことはあるけれど、「ピアノ:○×さん」という書き方が可能なときはそうして、伴奏者という表現は避けています。
もっともこういう態度は僕だけのものではなくて、ドイツ・リートをやっている人の多くがそうだと思います。表現の中で、ピアノが担う部分がものすごく重要だからですね。
じゃあオペラのアリアをピアノ伴奏(やっぱり使っちゃうときあるんですね、さっそく)で歌うときは、ピアニストは重要じゃないかというと、そうではないのですが、やはりオーケストラの代用というような認識があるんでしょうかね。
僕にとって服部容子さんは、つきあいが長いだけじゃなくて、友人としてもそうだけど、音楽家として本当に尊敬出来るピアニストです。ピアニストとしてもそうだけど、声を使った表現というものに対する理解がすごく深くて、また考え方が近いんだな、多分。容子さんは日本にいるから、一緒に何かやった時間というのはそれほど長くないかも知れないけど、音楽家としてのこの人のあり方がよくわかるのです。
容子さんは職業としてはまずコレペティトアだから、オペラの稽古でピアノを弾く時間が一番長いんだと思う。そういう容子さんとのデュオだから、もしかしたらオペラのアリアだけのコンサートでも「デュオ・リサイタル」と言っていたかも知れないなぁ。
この容子さんとのデュオ・リサイタルはシリーズとして続けるつもりなんです。これは第一回目。次はいつになるかなぁなんて話していたんだけど、来年の夏に出来る可能性が出てきました。まだわからないけど。第二回の曲目はもう大体決めてあります。このあわせも今年の夏にある程度やらなくちゃ行けないからね。

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