なんだか最近、稽古の様子をさっぱり日記に書いていないことに気がつきました。稽古していないみたいに見えますよね。いや、してるんです。
魔笛の立ち稽古が始まって約1ヶ月が過ぎたというのに、あんまり能率的に進んでいるとはいえないですねー。もっとも僕の1幕のタミーノとのシーンはもう立ちがついているので、ひとまずは安心。2幕の台詞のシーンはザラストロと僧侶たちとのシーンを別にするとまったく稽古していません。台詞稽古だけはしてあるんだけどね。
というのは、今回タミーノもパパゲーノもゲストなので、稽古に来られる日が限られているというわけです。僕の2幕の出番はパパゲーノとタミーノの両方がそろわないと稽古出来ないもんね。
写真は舞台模型と、稽古用の舞台。八百屋になっています。写っているのはタミーノ君。
そうそう、日記に書こうと思ってまだ書いていなかったと思うけど、僕の役のこと。弁者というので、まぁ1幕フィナーレのタミーノとのやりとりはまず間違いないとして、それにくわえていわゆる僧侶1の役もかねるんだろうなとは思っていました。前に芸大大学院で弁者を歌ったときもそうだった。
でもね、今回はそれにくわえて、僧侶2の役も兼ねてやるのです。こんなヴァージョンは初めてです。見たこともない。どこかでこういうパターンがあるんでしょうかね、既に?
つまり2幕の試練のシーンで、僧侶1はタミーノを僧侶2はパパゲーノの世話というか先導をするような感じになっているわけですが、僕は今回二人の世話を同時にしなくちゃいけない。
そう、僧侶1と僧侶2の二重唱はどうするの?と思いますよね。この二重唱はカットになる可能性もあったのですが結果的にはカットされず、これは鎧を着た男1のテノールがこのシーンでは僧侶の一人として出てきて歌うことになっています。
要するに、これは僕にとって何を意味するかというと、憶える台詞の量が倍になったという事です・・・。 O je…
まぁ仕方ない。二枚目と三枚目を同時にやれるような役になるわけで、これは面白いと思っていますが。
今回、この劇場に来てからドイツ語の台詞をやるのは初めてなんです。まぁ日本ではやったけど。・・・ん、同じ事を少し前に書いたな。そうか、リーダー・アーベントのことだ。ドイツでソロのリーダー・アーベントをしたのはこの間が初めてでしたからね。
で、結構台詞に関しては緊張もしていたんだけど、どうやら問題ない様子で(今のところ)ほっとしております。まぁ発音に関しては前からお墨付きをもらっていたんだけど、やっぱり歌うのとは違うし、発音と台詞の言い回しというのはまた別のレベルの作業ですからね。でも、僕が日本語の台詞をやるときと同じメトードというか同じ姿勢でやって、演出家との作業ができているので一安心です。
台詞というのは歌と違って、言い方がいくらでも変えられるでしょ。オペラの歌の表現に関して作業(稽古)するということは、クラシックの発声と音楽の記譜法の範囲内でしかできないわけです。だから選択肢は意外に狭い。ピアノとか、フォルテとか、あるいはクレッシェンドとか、そういうメトードがはっきりあって、その中で稽古して、演奏方針を絞るというか、練っていくわけですね。
でも、台詞となると、テンポ、声量、間の取り方、全部稽古場に任されているわけです。それから声の出し方、つまり台詞の発声法も本当に色々な考え方がある。だから、演出家と俳優が一つのメトードを共有出来ないと、大変難しい状況になってしまう。
例えば、有名な演出家の蜷川さんがあるミュージカル俳優でもある俳優に「台詞を歌うな!」と執拗にダメを出していたという話を最近聞いたことがあるのですが、これなんかその良い例です。僕には確信があるけど、この俳優は絶対に台詞を歌った訳じゃなくてちゃんとしゃべってるんだけど、この人は音楽大学できっちり声楽を学んでいる人だから、音程の取り方などがどうしても歌に近くなってしまうわけですね。だから「歌うなといわれても・・・歌っていないのに・・・」みたいな話になるわけで、こうなると俳優の方はつらいです。表現者としての自分の基礎部分がぐらぐらしちゃうわけですからね。
ミュージカル俳優の台詞の言い方と、新劇の人の言い方と、小劇場の役者さんの言い方はやっぱり違うわけで、小屋のサイズも関係あるし、その芝居のスタイルも関係ありますよね。古楽とイタリア・オペラではやっぱりちょっと同じ発声では歌えないというのと似たことです。
で、僕が心配していたのは、この魔笛で僕がそういう状況におかれる事でした。外国人だし、うまくできないと見ると、とことんダメが飛んでくるのは見えている。だからかなり構えてかかったんですが、まぁうまく行って良かった。実は台詞の言い方に関しては、ちょっとそれは行き過ぎじゃ?と思うくらい指示が細かいんですね。アクセントをどこに置くかだけじゃなくて、テンポや音色、音程まで、ちょっと演出家の意向にあわない言い方になるとすぐさまダメがでる。で、逆に細かい指示があるので、僕にとってはありがたい、その通りにしさえすればいいわけですからね。そういう技術はあるわけで。
「もっと○○な感じに」とか抽象的なダメだと、やっぱり僕にはドイツ語台詞表現の引き出しはドイツ人よりは少ないわけだから、結構つらいものがあると思います。だから、演出家が細かいのはかえってありがたい。
来週になるとパパゲーノが来るので、2幕の稽古が進むことでしょう。