NHKの収録、山本さん、山崎さん、若林さんの

ブラームスは本当に素晴らしかった。
長いタイトルだなぁ。でもいいや。
僕は普段、室内楽をライブで聴くという機会はあまりないです。室内楽は大好きなんだけど、やっぱりチャンスがなかなかない。演奏会に行くこと自体が、よっぽど思い切って時間をとらないと出来ないですからね・・・。


さて、山本さん達のJ.ブラームス。これが凄かったんです。僕はもう、すっかりお客さんになって楽しんだというか凄く感動しました。いやぁ音楽が大人です。僕も頑張ってこういう熟した音楽がやりたい!と心から思いました。
皆さんの演奏ぶりを間近で見ていて、色々考えました。器楽の皆さんというのは、声楽の我々とは違うスタンスで演奏に対して向き合っている感じがすることが多いのですが、その辺についても。
僕らは大体の場合、歌詞という、作曲家のインスピレーションに関して重要なヒントをもらっているわけですが、器楽の場合はそうではないですよね。僕にしてみると、曲にどういう態度をとって良いのか、歌詞がなかったらさっぱりわからない!という感じがしていたのですが、皆さんの演奏を見ていて、わかってきた感じがしたのです。


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僕らが歌うものの大半はオペラだから、筋というものがある。これはかなり具体的です。で、怒っているときは声が大きくなっているとか、物思いにふけるときは音程が低めの音域になるとか、音楽と内容の関係がまぁそういう割りとわかりやすい関係になっています。
でも、器楽の場合はそう具体的ではないことが多い。「標題音楽」なんてものもありますが、これについてもバーンスタインが「青少年のための音楽入門」(だったっけか?)で面白いことを言っていましたね。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後の「キエフの門」ですが、「もしこれを『ミシシッピの雄大な流れ』と説明されて聴いたら、この音楽はミシシッピの音楽にしか聞こえないだろう』ということを言っていました。たしか。
音楽というのはそれほど具体的になり得ないし、無理に具体的にしようとすると、説明的になってしまって、これはあまり面白くないし、芸術からは離れていく。


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でも、皆さんの演奏は凄く具体的なんです。僕らもオペラの演奏とかで、その怒りがどんな怒りか、不安がどんな不安かというのを出来るだけ具体的に表現しようとします。そういう意味で同じなんだなぁと思いました。フォルテの熱さとか、鋭さとか、そういうものがとても具体的に伝わってきました。これこそが皆さんが一流の演奏家である証なのかも知れませんが。
でも、ブラームスから「どうしてここはフォルテなのか」を教えてもらっているとは思えない。そりゃ、ある程度のことは調べが付くかも知れないけど、それはそれぞれの演奏箇所と言うよりは作品の成立環境とか、その当時の作曲家の置かれた状況とかそういうおおざっぱなものですよね。
それでもその音楽を具体的に演奏していく。これは「音楽」という芸術に帰依しているから出来ることなんだな!とわかったのです。フォルテが何でフォルテか考えると言うことは、ひねくれた言い方をすれば、フォルテのあり方を疑うことです。これをしないで、とにかくその音楽を留保なしに受け入れて、その中に没入するわけですね。


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ものを理解するためにプロセスとして、その存在にふれたときの驚き、そしてその対象への帰依、これが絶対必要不可欠とシュタイナーも言っていますが、まぁこれはなかなか難しい。でも、芸術というのはやはり体で理解した人しか実践できない。こういうことってのは、頭でわかってもなかなか役に立たなくて、腑に落ちるには何か特別な体験が必要なことが多いと思うのですが、山本さん、山崎さん、若林さんのおかげで、ピーンと来たというか、頭脳でなく、腹でわかった気がしました。皆さんありがとうございました。
めちゃくちゃミーハーですが、皆さんとそれぞれツーショットの写真を撮って頂いたので、それぞれ載せてます。

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