日曜日には、イェナで歌曲コンサートの本番がありました。
このハイネ・シューマンプログラムはこれで合計6回歌ったことになるけど、これでとりあえずおしまい。同じ歌曲のプログラムをこんなに多く歌えるということはなかなか無いので、これは大変にありがたいことでした。僕は「勉強になる」という表現を安易に使うのはあまり好きではないのだけど、これは本当に勉強になってしまった。
ドイツに来たときに、異文化との出会いは実は見知らぬ風土や文化との出会いを通して自分と出会い直すことだ、と知りました。
このハイネ・シューマンプログラムを何度も何度も歌って、結局何が勉強になったかって、やっぱり自分をより良く知ることが出来たのですね。
いや、まぁね、よく知るったって、僕の「自分」なんて、そんなたいしたもんじゃないんですが、やっぱり大事にすると一生使える僕の体と心。大切にするにはやっぱりよく知らなくちゃね。
アンコールの前に、ヴァイマールとの時と同じく、ハイネとシューマンの没後150周年とはいえ、1時間半で3度も失恋と自殺はいささかきつい、という事を言ったのですが、この失恋と死の描き方。常に表現が、ハイネ一流のアイロニーをまとっているわけです。
狂気を描いて、その傍らにアイロニーがあるというのは、なかなか無い事じゃないかなぁと思ったりしています。人間としての懐が深くないと出来ないでしょうね。
で、このアイロニーは、シューマンによってさりげなく増幅されている。リーダークライスだと7曲目の「Berg und Burgen schau’n herunter」とか、極めつけはやっぱり詩人の恋の11曲目「Ein Jüngling liebt ein Mädchen」でしょうかね。
リーダークライスの7曲目は、表面は明るく輝いてのどかにも見えるライン河の流れに、自分を裏切った恋人の姿を見るのです。表面はライン川のように朗らかだったが、一皮むけば夜の闇と死の闇を宿しているひどい女性。ライン河ものどかなようでも、下の流れは速くて飲み込まれたら再び浮かび上がることは出来ない「闇」を内包していると。
その音楽的表現が、極めて控えめに、しかし的確にアイロニーをまとっているのです。しかもこの歌曲は有節歌曲。つまり同じ節を繰り返すタイプの、言ってみれば単純な形式。どうしてこういうスタイルでこうも見事にアイロニーを表現できるのか。やっぱりシューマンは天才だ!
とはいえ、この曲では演奏家がそのアイロニーを強調する努力をしないと、シューマンが仕掛けた音楽は活かされてきません。アイヒェンドルフの詩によるやはりシューマンのリーダークライス作品39にもそんな曲があります。10曲目だったかな。「Zwielicht(薄明)」です。これもほとんど有節歌曲の様な形式ですけど、節によって子音と母音の発語の、特に強さのバランスを変えると、シューマンの受け止めたアイロニーがすごい効果で迫ってきます。これも友人に裏切られた歌なんだよね。
うむ。話を引っ張りすぎたな。で、何が言いたかったかというと、このアイロニーは僕にとって、最初はかなりきつかったんです。ハイネのこのアイロニーと初めて出会った頃は「えっ。うそだろ」ってな感じで、こんなにどぎついアイロニーを表現するというのが自分にとって過負荷というかなんというか、きつかったんです。
オペラならそうでもないんですね。オペラとリートじゃやっぱり演奏する際の態度が違う。オペラでは死んだり狂ったり結構色々出来るんです。特にここ数年、かなり色々やらされているから・・・日本の皆さんにも去年の夏はキモチワルイものを見せてしまいましたし・・・これはあんまり抵抗ないんです。
でも、リートを歌うときは、言ってみれば嘘はつけないんですよ。だから、受け入れられる表現に限度があるというか、僕が人間として受け入れられないものはやっぱり歌いにくい。ハイネのアイロニーは最初そうだったんです。
でも、こう何度も歌って訓練されたと言うこともあるけど、かなり慣れてきた。というか、このアイロニーの表現を楽しんでいる自分を発見した訳なんですね、今回。そういう自分の内的広がり・・・ハイネのアイロニーにとまどってから10年くらい経っているわけで・・・を実感したのです。これは大きな収穫でした。
もうひとつ、現実的な面の収穫もありました。1週間前のヴァイマールのコンサートを嫁さんが聴きに来てくれて、僕のリート演奏を久しぶりに生で聴いてくれたんですね。で、技術面でちょっと僕がここ数回、気になっていることをやはり指摘されたんです。
具体的に言うと、ソフトな音色のまま、ピアノの音量とのバランスや歌の音域が低くなってくることで、無意識のうちに音量を上げようとしたときに、ちょっと乱れが出ていたんです。音色を硬い音色に換える覚悟が出来ればそれで問題ないんだけど、音楽的、内容的に音色をソフトなままにしたいのに音量を上げたいときに、技術的な問題があったわけです。
これをこの1週間ちょっと考えていて、技術のメンテナンスをしたら、他の問題も一緒に解決して、今回の本番は声楽技術的にかなり満足度が高かったのです。このプログラムの最後の回にこういう風に技術的にも総まとめが出来て、大変僕としてはありがたかった。これを夏の東京でのマゲローネにつなげたいですね。