昨日の日曜日は、アルテンブルクで室内楽のコンサートがありました。リンデナウ・ムゼウムという博物館で行われているシリーズで、僕はここで歌うのは初めて。
今回のコンサートは、ザクセン、ザクセン・アンハルト、テューリンゲンと三つの州出身の作曲家を取り上げて行われました。現代音楽ばかりです。僕が歌ったのはギュンター・ノイベルトという作曲家の、弦楽四重奏、ハープ、フルートとバリトンのための曲集です。
曲のタイトルは「Lass mich rühren deine Seele」。「お前の魂に触れさせておくれ」というかんじでしょうか。
とても美しい響きの曲で、現代音楽が得意ではない僕も大変楽しんで演奏することが出来ました。
作曲家自身も演奏会にいらしていて、とても喜んでくれました。英語の歌詞なんですが、作曲家自身のドイツ語訳の方で1994年に初演されて、なんと英語のオリジナル歌詞での演奏は今回が初めてだったとのこと。この人の作品でバリトンのソロがあるものは他にもあるそうで、ライプツィヒのオペラハウスで初演された神話を題材にしたものや、オーケストラ歌曲で聖書からテキストをとったラブソングなどもあるそうで、「歌ってみませんか」と言われました。
前だったら、現代音楽に対する抵抗が強くて、こういうありがたい申し出にもあまり喜べなかったのですが、ちょっと事情が変わってきました。今回のこの作品の演奏、いま譜読みしている他の現代作曲家のオペラ、そして6月に演奏するオケの同僚が作曲したファゴットとバリトン、ピアノのための歌曲と、今ずいぶん現代音楽との関わりが増えているのです。
前もね、やってなかった訳じゃないんです。東京室内歌劇場の99年の公演でタイトルロールを歌わせてもらったW・リーム作曲の「ヤコプ・レンツ」(狂っていくレンツ)なんかは、ある意味僕の中では記念碑的な公演だしね。
でも、やっぱり譜読み、そして作品が自分の中に「座って」くれるまでに時間がかかる。
でも今回、怪我の功名(?)ってわけでもないですが、めちゃくちゃ忙しく、また譜読みするものが多い中での現代物だったので、勉強の仕方についてちょっとじっくり考えてみたのです。
「自分は音楽教育を受け始めたのが遅かったから、譜読みが遅い。絶対音感もない(これは必要ないという人も多いですが)。だから効率的に勉強しないとダメなんだ」みたいな強迫観念が働いて、今までは逆に素直な感性が音楽に対して働かなかったと思い始めて、勉強の仕方を変えてみました。人智学との出会いもこの考え直しを助けてくれました。やっぱり作品との「出会い方」というのは重要なんだな、と思ったのです。
そうしたら、今回はとても肩の力が抜けたところで音楽を受け止めることが出来たのです。これは大きな発見でした。これは「感覚」のような部分で文章にするのはとても困難なのですが。で、皮肉なことに、こうした方がずっと、作品が自分の中に「座って」くれるまでにかかる時間が短い。
ハンス・ホッター氏のドイツ歌曲のレッスンを受けたときに、彼が「一つのリートを舞台に出せるようになるまでに、何回ぐらい歌わねばならないと思うか」という質問をした事がありました。彼の答えは「大体100回くらいだと思う」と言うことだったんですが、僕はちょっと納得いかないんですね。
たとえばディースカウという歌手は、ものすごい数の録音をしたし、そのどれもが素晴らしい演奏なんです。600曲近いシューベルトの歌曲全集を録音したこと自体が驚異的ですが、本当に驚異的なのはその質の高さなんですね。
でも僕には、彼が600曲(正確に男声が歌える歌曲の数は未確認ですが)を100回ずつさらったとは僕にはとても思えないわけです。
「ああいう天才と同じように出来るわけがない」という考えももちろんあります。事実ですし。
でも、彼は天才的な音楽家で、自分は天才的な音楽家ではないから違うやり方をせねばならない」と思うと、物事への取り組み方、「入り口」を変えてしまうことで、へたすると「ボタンの掛け違え」みたいな事が起こるのでは、と思っています。
作曲家で、かつ素晴らしい教育者の松井和彦先生という方に、僕は長い間お世話になっていたのですが、この松井先生に教わっていたことは言ってみれば「後天的天才音楽家をつくる」というメソッドだったんです。で、僕は今もこのメソッドを固く信じて音楽しているわけですが、この考え方から行くと、ディースカウの中で何が起こっているかを観察、場合によっては模倣することで自分もそれに近づける、という事なんですね。
だから今回、思い切ってさらい方を変えて、現代音楽と「仲良く」なれたことは、僕にとって意味が大きいのです。深く音楽に浸るのに要する時間が短くなったわけです。
これ、こうなってみてよく考えると、普段の僕の舞台での態度とも関係あることで、何か困難があったとき・・・気持ち的なことにせよ、技術的なことにせよ、音楽的なことにせよ・・・何となく「頑張って」そこを切り抜けようとすることが多かった。これはある意味で「力ずくで」という事になってしまうことが結果的に多い。
リートの演奏では嘘がつけない、という事を前に書いたような気がしますが、それとの関連もあり、今僕は無理のない、本音の、本当の自分の姿で舞台に立つ、という事をすごく大事にしたい気持ちがしているのです。
そのための大きなヒントを、今回の体験がくれたような気がします。
関係ありませんが、ヨーロッパでもっとも権威のある二つのオペラ雑誌に「ヴァネッサ」の記事が出ました。Opernglasの方 では主役3人をさしおいて僕一人の写真がでている上に批評文の中でも絶賛されていて、こりゃ嬉しいです。
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