Erfurt近郊のZella-Mehlis市での歌曲の夕べ、無事終了しました。二つのトスカの本番の間に入ることになってしまったこの歌曲の夕べ、楽じゃなかったですが、やっぱりやって良かった。
やってみて思うのは、僕はやっぱりドイツ・リートが大好きだと言うことですね。本当にすごく好きなんだなぁ。オペラももちろん好きだけど、どっちか一つを選べ!と言われたら、リートをとっちゃうかもしれない、と思ったりもします。
今回のプログラムは、R.シュトラウスの歌曲が中心でした。僕としては夏の服部容子さんとのデュオ・リサイタルをにらんで、という事はもちろんあるんですが、それとは別にしてもシューマン、ブラームスをここのところがっちりとやってきたので、ここでやっぱりR.シュトラウスの歌曲をバリバリ歌いたい、というのがあります。
本当に僕はR.シュトラウスの歌曲が大好きです。・・・大好き、大好きと書き過ぎかな?ここのところ、またザ・ブルーハーツを聞いているので、こんな風に書いていると「ぼく〜パンクロックが〜好きだ〜」っていうメロディーがまわって来ちゃいますが・・・。
コンサートのプログラムはこちらにあります。ホールは大きくないホールでしたが、音響も良くて、感じがよい空間でした。最初の写真は二階から撮ったところなので最前列から3列くらいしか写っていないけれど、全部で150人くらいの客席でしょうか。
「R.シュトラウスの歌曲が大好き」と同じくらい今日痛感したのは「僕はシューベルトが下手だ」という事ですね・・・。これはもう今に始まった事じゃなくて、前から公言していることなんですが、僕はシューベルトが下手なんですよ・・・とほほ。大好きなんだけど。
それでもこうやってプログラムに入れるのは、やっぱりうまく歌いたいんですけどね。録音聴いてみたりしても、歌いたいように歌えたためしがない。
まぁそれなりにプロの歌手を長くやっているので、聴いた人が「あー、この人はシューベルトが下手だなぁ」とぱっと思うようなことには多分なっていないと思うし、あまりひどいものを人前には出さないというモラルは持っていますから、僕が自分でシューベルトが下手なんだと言うと「そんなことない」と言ってもらえるのですが、自分が演奏したいシューベルトと自分の実際の演奏の乖離はかなりのもので、毎回自己嫌悪に陥ります。
逆に、技術の進歩をはっきり認識できるのもシューベルトだったりするので、その点では今回、かなりポジティブな部分もあったんですけどね。いつか胸を張って「これが僕のシューベルトです」なんて言える演奏が出来る日が来るんだろうか・・・。
まぁよい。
で、R.シュトラウス。プログラムにある8曲とアンコールをあわせて10曲歌いました。いやぁ気持ちよかった。Bruder liederlich(「放蕩もの」,、あるいは「だらしないやつ」)という歌曲は今回初めて歌いました。これはもう何年も前から歌う機会をねらっていた曲です。
強者で通っているあるヤクザものが、若い女の子に惚れちゃって、いい仲になり、頃合いを見て嘘をついてこの女の子を捨てて逃げようとしたら泣かれちゃって、油断して今度はパスポート(身分証明、と言った方が良いかな)を取り上げられてどこにも行けなくなっちゃった、みたいな話です。
R.シュトラウスの色彩豊かな音楽が、とても雄弁で、おもしろおかしくドラマが描かれているのですが、まぁ声楽的にはむずかしくってね。音域も広いし、ダイナミックレンジも広い。おまけに声で芝居をしなくちゃ行けないでしょ、こういう曲。僕にとってはこういうのをドイツ人聴衆の前で歌うのは一つの挑戦なんですよ。すごいテンポで子音をさばいて、でも意味が全部わからないと全然ドラマが追えないし、でも発音だけ良くても楽しめない曲ですから。
これがね、今日はすごく上手くいって、R.シュトラウスのブロックの真ん中においてあって、歌曲の夕べなので一つ一つの曲の後に拍手は入らないのですが、この曲だけはわーっと拍手が来たんですよね。楽しんでもらえたようです。これは嬉しかったなぁ。
ピアニストのハイニッヒ氏もこの曲知らなかったし、今日のお客さんでこの曲知っていた人は多分いないと思うので、こういうのはとっても嬉しいです。
あと弱声のコントロールがすごく難しい曲を数曲入れていて、これもなかなかうまく行きました。Morgen!とかDer Nachtgang(アンコール)とかね。R.シュトラウスの歌曲の醍醐味の一つは、無限旋律とでも言いたくなるような長いレガートのラインにあると思うのですが、これはうまく行くと純粋に肉体的快感がありますね。CäcilieとかAllerseelenとか。
夏にデュオ・リサイタルでみなさんにR.シュトラウスの歌曲を聴いていただくのが待ち遠しいです!
今日の演奏会を主催したコンサート・マネージメントの人も大変気に入ってくれたようで、今年のコンサートはもう全部決まってしまったけど、来年以降のものはこれから決めるから、是非リーダー・アーベントをまたやって下さいと言うことになり、テューリンゲン州各地で歌曲の夕べをするチャンスが増えるかもしれません。
関係ない話題ですが、今日の午前中、健登のおもちゃを一つ解体しました。数年前に僕が自作したもので、ビー玉とかを転がして遊ぶおもちゃなんだけど、いかんせん大きすぎ、数ヶ月後に勉強机を入れるスペースを作るためにはこれがなくならないと・・・ということで、健登にも話して理解してもらい、二人で一緒に作業しました。
しっかり健登もその気になってゴーグルかけて一緒にやってくれた。かわりにばらした木の一つをあげて、彫刻刀でほって遊んで良いと言うことにしてね。僕が木を掘るのが好きだから、健登も見ていてやっぱり好きになるみたい。第一7年期も終わりに近いですが、模倣衝動はいまだに根強いですね。日常の中で、ある意味これほど便利なものはない(うまく使えばね)。もちろん、子供に模倣してほしい様に親が行動するのが前提だし、模倣されるのは表面的な行動だけじゃなくて、その元にあるモラルも模倣されるわけだから、油断はなりませんが。
さぁ疲れが取れきらないかもしれないけど、明日もトスカだ。頑張るべぇ
「解体」と聞いてすぐ「ああ、あれだな・・・」と思いました。
こないだ遊びに行った友人の子どもさんがあれで熱心に遊んでいたんだよね。「もっかい!」「もっかい!」ってビー玉沢山転がして。
けんと自身以上に他のこどもたちに大人気だったあれが解体か・・・と思うと、なんだか時の流れを感じます。
手作りのいいところ・・・。
人間と一緒で、
生まれて(創られて)
育って(使われて・進化して)
死んで(解体)
生まれ変わる・・・。
でも・・・・
もったいない!
仕事場が、木の玩具屋さんなので・・・
よけいそう思う。
みんな、こういうの、わざわざ高いお金を出して買うんですよお!
けんとくん、本当に幸せな子です。
そしてTeruさん、本当に素敵なお父さんです。
>ぴかままさん
そうでしたね。この間、Yなちゃん、すごく熱心に遊んでくれていたもんね。
>おかのうえ べんちさん
木の玩具屋さんにおつとめなんですか!いいですね〜。
仰るとおりです。もったいないと僕も思いますが、場所もない・・・。
でも、捨てるんじゃなくて、他のものに生まれ変わるというプロセスも健登にとっては有益じゃないかと思っています。
おかのうえ べんちさんが書いてくださった、「手作りの哲学」みたいな詩、素敵ですね〜。とくに使われることで育つ、進化するというのがいいです!