先日、このサイトにもよく来てくださるえーちゃんさんがゲラに送って下さった「モーストリー・クラシック」と「音楽の友」が届き、久しぶりに出版物という形で日本の音楽界の様子を見る機会がありました。えーちゃんさん、どうもありがとうございました。
つくづく思うのは、日本、特に東京はクラシック音楽のマーケットとして巨大だと言うことですね。これだけのビッグネームが入れ替わり立ち替わり演奏会を開いている都市はそれほど多くないと思います。ドイツにはこの規模の音楽マーケット都市はないですね。パリとかニューヨークとかかなぁ。
モーストリー・クラシックに、僕が出演した「利口な女狐の物語」の映像が収録されたDVDが付属している、という事で送って下さったのですが、僕の出ていた場面はプロローグと、最後の場面でした。何だか懐かしいなぁ。たった数ヶ月前の舞台なのに、もう大昔の出来事のように感じます。
以前の舞台を振り返るときはいつもそうですね。不思議な気持ちがします。その時期、あまりにもどっぷりとその世界に入り込み、浸かり混むからでしょうか。この「利口な女狐の物語」は特に僕にとって大切な舞台だったので、僕の中の何か大切な結晶物になっている感じがします。
最近また「読む」事にかける時間を少し意識的に割いています。
一つは日記でも少し触れた、人智学関連の本。まずは美学に関する文献でした。この間、ゲラのヴァルドルフ小学校の理事としての仕事について少し書きましたけれど、シュタイナーが「教育者はみな、芸術家であるべきだ」と言っていたことを、かみしめつつ学校のことに関わっています。
ここ、意外に見落とされているんじゃないかなーと思っています。シュタイナーは思想の根底に常に「美」を意識していたのです。日本語で「芸術」とか「芸術家」と言う言葉は、必要以上に日常からの乖離を感じさせる響きを持っているように昔から感じていたし、「あなたは芸術家だ」と言われるときに、裏に皮肉が潜んでいることも少なくなく・・・若い芸術家予備軍には皮肉を込めて使われることがより多いようにも思いますが・・・どうも「自分は芸術家です」ということは好きでなかったし、避けていましたが、これは避けてはいけないんじゃないか、と言う風に思っている今日この頃です。
つまり、日常に潜んでいる「美」にもっとスポットを当てて生きる事がこの現代社会には必要で、「美」を感じられる人はすべてが芸術家だ、と言いたい気持ちなのですね。
例えば、公園を歩いていて平気でゴミをその辺にぽいっと投げる人がいる。逆に、自分は決してそれをしないぞ、と思っている人や、また、人が投げ捨てたゴミを拾ってゴミ箱に捨てる人もいる。僕はこれを美しいと思う。この人の頭の中には、ゴミが落ちていない美しい公園のイメージがあると思います。そのイメージは美しいわけですが、それが人のゴミさえも拾って捨てるという行為を通して、モラルになっている。僕はこの方の頭の中の美しい公園のイメージ以上に、この方の行動を美しいと思うのです。そしてこの「美」は、僕の心をすがすがしくしてくれる。「美=モラル」と言ってしまうのは乱暴だけど、美とモラルの関係はすごく密接だと思います。・・・この場合のモラルというのは「〜べき」のモラルではなく、「〜したい」モラルですけれど。これ、前にも書いたかな。
僕はそういう意味では、芸術家であると、以前よりはっきり自分を定義することで、「美しさを追求する」という使命をはっきり認識したい、と言う気持ちになっているわけです。そしてその「美」が日常の中に潜んでいることにも注意力を向けていきたいと。
こういう例を挙げることを乱暴と思われる方もいるかもしれないけれど、敢えてさせていただくならば・・・例えばこの間、踏切に入った人を助けようとして亡くなられた警察官の方がおられました。多くの人が心を痛めたと思います。僕は遥かドイツからインターネットのニュースサイトでその事実を伝え聞いたわけですが、それでもこの事件は僕の心を大きく揺さぶりました。
この警察官の方の勇気や使命感、そして何より他人の命への愛が、多くの人の心を揺さぶったのだと思います。そしてその代償として、かけがえのないご自分の命を落とされたわけですが、心を揺さぶられた人たちは、その行為の中に「美しさ」をみたのではないでしょうか。彼の、危険を冒してでもこの人の命を救いたい、と言うモラルは痛みを伴った「美」を持っているのではないかと思うのです。命を落とされたご本人にとってはもちろん、残されたご家族の皆さんにとって、痛みの大きさは計り知れないもので、ご家族にとっては美しくなんか全然ない、ただ悲惨な事件だったとも言えるでしょう。でもこの方が僕らに与えたものもすごく大きかったと思います。心から冥福をお祈りしたいと思うと同時に、同じ日本人にこういう人がいたことを誇りに思い、僕もまた別の分野ではありますが自分の使命を全うしたい、と思います。
美学に続いて、やはりシュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」を、もう一度読み始めました。これも、前読んだときより全然面白い。これについて書き始めると長くなるから、これはまた別の機会に。
あと、三木療法という、難病の治療法について、その体験談が綴られた阿部進さんの「糖尿病からの生還」その続編といえる「癌からの生還」。今まで買ってあったのですが読んでいなかった「癌からの生還」の方を読み始めました。
おなじ三木療法に根ざした食餌療法である「世にも美しいダイエット」の方を、僕らはもう10年以上やっているのですが、ここのところ自分の健康というものを前より真剣に考えるようになって、食生活をもう一度見なおそうと思っているところです。
ソーシャル・ネットワーキング・サイトというものがはやり始めて久しいですが、その大手のmixi。僕も参加しております。ご自分がおやりになっている方も、またそうでなくても最近僕のサイトのコメントをくださる方にmixi経由で来てくださっている方が増えていることにお気づきの方もいらっしゃるかと思います。mixi内のことをここで書くのもどうかなぁとは思いますが、このmixiのなかで、この三木療法のコミュニティーを先日立ち上げてしまいました。かなり迷ったんですけどね。
「世にも美しいダイエット」の著者の宮本美智子さんが亡くなってから、週刊誌などでもずいぶん叩かれたようだし、ある意味で極端なメソッドなので仕方ないかもしれませんが、最近この食餌療法の実践者の声というものが極端に聞こえにくくなってきているように思うのです。でも僕にとってはこのメソッド抜きでは僕の健康維持はあり得ない、と言うくらい重要なものなので、何とか他の実践者の方と情報交換、意見交換をしたい、という切実な思いがずっとあったのです。ドイツにいるから情報が入りにくい、という事もありますけど。
早速参加してくださった方もいて、何だか嬉しくなっているところです。mixiをやっていらっしゃる方、このコミュものぞいてくださると嬉しいです〜。
どういたしまして?。
NY、パリ並みですか・・・TOKYOって凄いんですね!
ビックネームがどんどん来日してくれるのは嬉しい限りです。
4月1日には大好きなグルベローヴァのリサイタルを東京文化会館の最前列で聴きます♪
ルチアの狂乱の場や近年ようやくレパートリーに入れたノルマなど、今なお進化し続けるグルベローヴァの魅力全開です!!
余談ですが、グルベローヴァは日本の桜が好きなんですよね?それに合わせてスケジュールを組むのか彼女は毎年のように来日してくれますが、そのほとんどが東京で桜が咲く時期です。
mixiの「三木療法・世にも美しいダイエット」のコミュに実はこの日記を拝見する直前に(!)その存在に気がつき、さっそく参加させていただいたのです!!
なので小森さんがそのことを日記で書いていらっしゃるのを見てびっくりしました。
実は大昔、まだ大学生の頃「世にも美しいダイエット」の本を読破しているんですよね?私。
読んでいたのはセブンイレブンのバイトの最中でしたが・・・ははは。
真面目な話、近年コレステロール値が高かったり、肝機能が低下していたり、健康面でちょっと不安なことがあって「世にも・・・」に興味を持ち始めている私です。
ご飯党&甘党の私にはちょっと厳しそうな療法ですけれどね。とりあえず本は注文したので届いたら読んでみますね。
東京はクラシック音楽のマーケットとして巨大だと言うことですね。これだけのビッグネームが入れ替わり立ち替わり演奏会を開いている都市はそれほど多くないと思います。
本当にすごいですよね?。卵としては、海外の有名どころをずらーっと揃えるよりも、日本人の歌手にもっと活躍させて欲しいと思ってしまうのですが・・・
世にも美しいダイエット早速調べてみます!
>えーちゃんさん
本当にありがとうございました。楽しみました!
確かに厳しい療法ではあります。やったら絶対に効果はあるけど、より健康になる必要性が低い人には継続するためのモチベーション維持が大変かもしれませんね。
>姉御さん
そうですね。演奏家の立場としては、僕ももちろん日本人の活躍の場が多くなれば嬉しいけど。
僕は最初は、世界の演奏家のレベルの中で、日本人の演奏家のレベルが不当に低く評価されているとすごく思っていたし、それに対する憤りもあったのだけど、これはこれである意味で仕方ないと思うようになってきました。日本人の欧米コンプレックス、芸術を「文化的アクセサリー」として扱う傾向は、どうしようもない事実だし、僕らがこれを変えて行かなくちゃならないのだと思う様になったのです。大変な作業ですけどね。僕ら演奏家も日本人だし、日本を良くするのは日本人の仕事ですから。
日本人がクラシックを高級な「文化的アクセサリー」として扱うことが音楽との隔たりを作っているような気がしてなりません・・・。また他の国々に比べて愛国心に欠けるような気がしています・・・。例えばオーストラリアはオーストラリア製であることが自分の国の市場に貢献することを認識しているんですね。オペラ歌手でも1番にオーストラリア人を起用します。日本には沢山の若い歌手がいるのに、多くの機会を外国人歌手に与えてしまう気がしてなりません・・・。小森さんのように国際レベルに到達する歌手が少ないのでしょうか・・・?
なんかネガティブな文章になってしまいましたね?。(すみません)私も微力ながら演奏家として日本人の意識改革運動に努めてみます!!!
私はアーティスティックでもなんでもありません。ただし、ゴミは捨てません、拾います。香港の小汚い海岸で、みんながゴミをよけながら上手に遊ぶのを尻目に、ゴミを拾わずにはいられません。つくづく損な性格と嘆いておりましたが、そんな私を、「美しい」とおっしゃっていただき、うれしいです。
三木療法についても、おいおい勉強してまいります。私はお肉を食べず、リンダ・マッカートニー印のベジタリアン冷凍食品を愛用していましたが、リンダさんが早世なさったとき、存続を心配しましたが、幸い杞憂に終わりました。
>姉御さん
愛国心というのは、口にするのが難しい話題ですよね。
ドイツでは「自分はドイツ人であることを誇りに思う」というごく普通のフレーズを使うことがタブーであるような雰囲気さえありました。サッカーのワールドカップの後くらいからちょっと雰囲気がゆるんだかもしれないけど。
君が代の問題もそうだけど、愛国心を強要することは出来ないです。一人一人が愛国心を持つかどうかは、教育と歴史に大きく影響を受けると思いますが、やっぱり自分の根っこはどこにあるのか、という事を踏まえて生きていける環境は大切だと思う。そして、その根っこは、「くに」よりも「みんぞく」にあるのではないか、と僕は思っています。国境は戦争などで簡単に変わってしまうことがあるけど、民族のアイデンティティは変わることがないですよね。
「くに」と「みんぞく」は違う概念だけど、日本というのはこの二つがほとんど合致する珍しい例だそうです。唯一だという話も聞いたことがある。・・・もっとも「民族」という言葉の定義も難しくて、これは例えば言語を基準にした場合の「民族」の話です。
自分の民族を「愛さなければいけない」のではなく、「愛したい」モラル、状況が必要です。それにはその民族を誇りに思いたい。だから僕らは頑張るんです。
うーん。話がそれたかな?
>h.beeさん
それは本当に美しいことです。それと同時に損なことかもしれないけど。でもh.beeさんが現実世界の中でその時にちょっとだけ損をしていても、その行動を通じてこの世界を何ミリか良くして下さっているのだと思います。
リンダ・マッカートニーさんのことは存じ上げませんでした。ポール・マッカートニーの奥さんだったんですね。
三木療法の食事は必ずしも菜食ではありませんが、多く野菜を摂ります。
「くに」よりも「みんぞく」・・・確かにそう考えてみると、一言にオーストラリア人といっても民族によって生活習慣から価値観まで大きく異なりますものね?。勉強になりました!
私は単純に外国人歌手ばっかり起用しないで、同じ国の日本人歌手にもチャンスを与えてよ?!!!的な乗りなので(笑)右翼ではありません・・・念のため(笑)
>姉御さん
僕はオーストラリアには行ったことがないし知識もなかったのだけど、これを機会に少し見てみたら、先住民もいたわけだし、歴史的にもいろいろあったわけですよね。南半球にある事で、立場的にヨーロッパの国々と同調できないケースもあるようですね。