ベルリン芸術大学時代の師匠、ハラルト・シュタム教授の70歳の誕生日パーティーに招かれ、ハンブルクまで行ってきました。久しぶりに会う懐かしい顔ぶれと、つかの間ですが旧交を温めました。シュタム教授に会うのも5年前の退官記念コンサート以来でした。
ローエングリンのHP以来、日記をお休みしていましたが、久しぶりの日記です。ローエングリンのプレミエはゲラのプレミエとしてはかなりスキャンダラスでした。ブーイングとブラボーのせめぎ合うカーテンコールを、僕はここゲラでは始めて体験しました。「考えさせられる」などという距離を置いた態度ではいられないので、正直に言うとかなりショックも受けました。そこから戻ってくるのに時間がかかってしまった感じですが・・・
単純に何かがっかりしたとか、そういう話でもなくて、とにかく憂慮すべき事態が目の前で起こっていて、いったい自分がすべきことは何か?というかなり切実な問いです。もうプレミエから2週間経って、本当に毎日このことは考えているので自分としては少し整理されてきましたが、言語化するのには時間がまだかかりそうだし、大体まず言語化するべきなのか?という疑問もあるし、それもどこでやるか、ってのもあるのですね。そもそも芸術ってなんなんだ、って話にもなってきています。
さて、今書いているのはシュタム教授のパーティーのことでした。ハンブルク郊外のリゾートホテルみたいなところで行われましたが行ってみてびっくり。すごい豪華なホテルで、庭に(という言い方は変なのかも知れないけど)ゴルフ場がありました。池もあるし。
懐かしい顔ぶれに再会しました。ベルリン時代に同じ釜の飯を食った仲間です。東洋人が結構多いクラスだったんですね。日本人は僕以外にソプラノの角田祐子さん。彼女は去年のNHK交響楽団の第九ソロを歌いましたね。万全な体調ではなかったとのことでしたが、まろやかな美声を聞かせてくれましたね。僕も日本にいたのでテレビで見ました。今はシュトゥットガルトの専属として歌っています。この日は「上を向いて歩こう」を替え歌で歌ってくれました。彼女もブログに書いてくれているけど、席が隣だったにもかかわらずあんまりゆっくり話が出来なかった。また次の機会に。彼女とはシュタム教授のクラスで知り合ったんじゃなくて、ケルンのコンクールであったんです。で、そのあと彼女がベルリンの音大を受けに来たんだけど合格したのに帰っちゃって、生徒として取りたいと思ったシュタムが僕に電話してきて何とか連絡を取ってくれと言う事になったんですよ。
驚きの再会はテノールのシャオ・トン・ハン氏。こちらのエントリーに書いた「コシ・ファン・トゥッテ」の最終公演でピンチ・ヒッターとしてフェランドを歌ってくれた彼はなんとシュタム門下生だったらしい・・・。僕がベルリンを去ったあとに入った学生とは面識ないですからね。5年前のシュタム教授の退官記念コンサートの時に知り合った人は何人かいるけれど。
そのシャオ・トン・ハンはハルバーシュタットの専属で集合写真では左端、その隣のJörn Schümannはハンブルクのオペラスタジオを経てハンブルクの専属、今はベルリン・ドイツオペラの専属です。彼とは大学の「エフゲニー・オネーギン」で共演しました。僕がオネーギンで彼がグレーミンだった。
その右はメゾのTina Hörholdで祐子ちゃんと一緒にシュトゥットガルトの専属。今は二人で一緒に「コシ・ファン・トゥッテ」をやっているらしいです。
その右奥は大学での生徒じゃないんだけどシュタム氏の生徒であるReinhard Hagen。(HPはこちら)彼はまさに世界を股にかけて歌っているバス歌手で日本にも何度も行ってるんじゃないかな。僕はベルリン時代に彼の舞台を沢山見ました。ベルリン・ドイツオペラの専属ですからね。その前の女性はピアニストのDoris Vetter。レッスンの伴奏をしてくれていました。1枚目の写真で3人で写ってるのも彼女。その前でちゃっかりこのカメラに目線を送っているのが角田祐子さん。シュトゥットガルトの専属ですね。奥の髭面はSebastian。名字忘れた。フランス人のバリトンで、この日はブレゲンツ音楽祭の稽古から飛行機で駆けつけたとか。その前の女性は韓国人ソプラノのイェリー・スーさん。古楽ではかなり有名な人らしい。顔が半分しか写っていない後ろの男性はバスのヘースー・ソン氏。ヴィースバーデンの専属。その前が僕ですね。ゲラの専属。はい。その右は中国人バリトンの・・・うーん。名前忘れた。彼はハンブルクの合唱です。その後ろで髪の毛しか写っていないのはビリー。名字知らないけど、彼はハンブルクの専属かな。この日はサロメの本番を終えてから駆けつけていたはず。結構みんな頑張ってますよ。
シュタム教授の話だと、現時点で連絡がつく生徒の中で失業者はいないとか・・・。歌をリタイヤした人が少ないのもすごいと思う。ちなみに大学で教えている人は3人いて、一人は中国のソプラノ、シャオ・リン(だったと思うんだが)、マレーシアのバリトンチョン・ブーン、あと一人は・・・忘れました。
この写真で一緒に写っているのは、JörnとピアニストのScott。ハンブルクからベルリンのベルリン・ドイツオペラに移ったJörnですが、彼はちょうどこの週にベルリン・ドイツオペラで「フィガロの結婚」のプロダクションがあってバルトロを歌うことになってました。で、よく調べてみたらこのプロダクションの30年前のプレミエでバルトロを歌ったのはなんと、他でもないハラルト・シュタム!こういう事ってあるですね。「でもハラルトはこんな話したことないんだよね。忘れてるのかな」なんて言ってたんですが、彼があとで歌ったときにシュタムに「30年前の12月14日になにしてたか覚えてますか?」とみんなの前で尋ねていました。「えーと。なんだっけ?」とシュタム教授。でJörnが「バレンボイムの指揮でディースカウとユリア・ヴァラディと・・・」といったら思い出して「そうそう、「フィガロの結婚」だ」ということになったんだけど、その役を自分の弟子が今歌うことにはやっぱりかなり驚いたみたいでした。
このプロダクションは僕もずいぶん見たいけど、いろいろな場面でバジリオがドアに耳を押しつけて盗み聞きしてるのがドアを開けるとバレるってのが繰り返されて、僕はこれがツボで声出して笑っちゃってたんですけども。まぁとにかく、30年も同じプロダクションが繰り返し上演されていること、プレミエで師匠が演じた役を30年後に生徒が歌っちゃうこととか、なんだか感慨深いですね。
ローエングリンのことで、かなり沈んでいたんですが、このパーティーに行って良かった。刺激を受けました。やはり同世代の歌手に、しかもある時期インテンシヴに行動を共にしていた連中にこういう形で会うのは特別の思いがあります。ぐずぐず言ってないで頑張らなくちゃな、と思いました。
それからもう一つ、以前からそうなのだけれど、僕にとってシュタム教授というのは「幸福」とか「満ち足りた人生」の典型みたいな人なんです。キャリアもバス歌手としてこれ以上ないくらいうまくいって、息子も二人それぞれ家を建て、誕生日にドイツ中からはせ参じた生徒に囲まれて。でも無理がないのです。彼の歌声のように自然でおおらかで。見ていて僕の方もなにか満ち足りた気持ちになるのです。キャリアをなした歌手を見ていると必ずしもそうじゃなくて、どこかギスギスしたところがあったり、上にいる人ほどさらに上を見て嫉妬が強かったりするもんですが、シュタム教授は本当にそういうところがないんです。
世界中のオペラハウスで歌ったことがないのは2カ所だけだといつか言っていて・・・どこだったかな・・・それこそ世界中で素晴らしい演奏を聴かせてくれた人が、そういう「心にしわがない」感じの様子を見せてくれていることは、僕にとってとても嬉しいことです。
僕は彼のようなキャリアをこれから築くことはまずあり得ないと思うし、僕は自分の楽器を開発するのにかなり時間を要してしまった。自分である程度満足のいく声が出るようになったのは、本当に最近のことだし、それでもワルキューレのところに書いたとおり、マテリアルだけである程度勝負が出来るような声ではないから仕方がない。
というか、僕の様な歌い手が、音楽を通してある種の社会貢献が出来る様になるには、今までこういうやり方でいわば自分の声と丁寧に向かい合って取り組むしかなかった、これは必要なことだったのだ、と深く納得できているのでこれはいいのです。回りくどいけど、何が言いたいかというと、そんなことを言ってもシュタム教授のことがうらやましくなくはない。でもこれは別の人生で、その人を見ていて心から嬉しく思えるという事を大切に思います。
前に他のエントリーで書いたけど、シュタム氏とは高校の時に本を通じて知り合っていました。岡村喬生さんの「ヒゲのオタマジャクシ、世界を泳ぐ」ですが、ケルン時代に岡村さんとシュタム氏は同僚だったのです。この話、シュタム氏本人にはしていなかったのですが、この日にすることが出来ました。
いろいろと悩みは深いけれど、もらったエネルギーを活かして頑張ろうと思います。ローエングリンのことは別の機会に書くことになると思います。サイトに出るのは少し後になるかも知れないです。