3月から、15年前に勉強したことをまとめ直す作業をしています。このノートは今までもイタリアオペラを歌うたびに引っ張り出しては見直していたんですが、夏のデュオ・リサイタルでヴェルディをまとめて歌うこともあり、やるなら今しかないと思って、バラバラの手書きのノートを一つの系統だったノートにまとめる作業をしているのです。マエストロ ウバルド・ガルディーニに教わったことのノートです。
昨年、マエストロ・ガルディーニの半生を描いた書籍が刊行されました。僕も入手して読んでいますが、大変興味深い。イギリスのジャーナリストが書いたもので、本来は英語版が先に刊行されるはずが、ガルディーニ先生が演出をされた東京音大のオペラ公演にあわせて、日本での訳本の刊行が先になったとのことです。
この本は、各種オンライン書店でも入手可能なようです。興味をお持ちの方は是非読んでみてください。
マエストロ・ガルディーニがどんな人か、どんなにすごいのかを述べているとそれだけで一つのエッセイになっちゃいますが、それを書くのは別の機会にするとしましょう。この本の帯にコリン・ディヴィスの「ウバルドなしにイタリア・オペラは考えられない」とありますが、本当にそうです。ロイヤルオペラ、メト、グラインドボーンの他フィリップスのオペラ録音などで活躍されたのですが、彼の教えを受けた歌手や指揮者の名前を見ると本当にすごいですよ。ドミンゴが芸大で公開レッスンをしてくれたのも、マッキンタイヤーが芸大でヴォータンを歌ってくれたのも、みんなガルちゃん・・・いや、マエストロ・ガルディーニへの恩返しとしてなのです。僕のヴォイストレーナーのDavidもマエストロ・ガルディーニの事はよく知っています。ドイツやオーストリアでもガルディーニ先生のことを知っている人に会うことはたびたびあります。
僕がマエストロ・ガルディーニに初めて薫陶を受けたのは大学院の時。ガルディーニ先生は当時芸大の客員教授でいらした。僕は大学院のオペラ公演でドン・ジョヴァンニを歌って、その時に指導をしてくださったのですが、大学というのは・・・特に国公立はそうなのかも知れませんが・・・本当に大事なことを本格的に学ぶには枠が小さすぎたり、融通が利かなかったりするもので、まさに「徹底的」という言葉がぴったりと当てはまるガルディーニ先生の指導にはあまり適した枠ではなかったと思う。おまけにこれは芸大オペラの公演の準備の一環として行われたので、公演は迫ってくるし、大体の授業の枠は立ち稽古に使われるわけだし、半端なことを嫌うガルディーニ先生にとってはやりにくいことこの上なかったと思います。
でも、その3年後にまたチャンスがやってきました。文化庁のオペラ研修所で修了公演としてドン・ジョヴァンニを上演することになり・・・僕は節目節目でこの役を歌って来たんですね・・・ガルディーニ先生が指導をしてくださることになった。しかも!今回は1年たっぷりかけてこのオペラ一本をマエストロの元で勉強できたのです。これは本当に素晴らしい体験だった。
十分には操れないイタリア語を英語で補いつつ、どういう訳か僕が授業の中で通訳のポジションに着くことになってしまった。これは、本当に本当に大変だった。歌手が第三外国語で通訳するってね、大変ですよ、本当に。おまけに修辞学の専門用語とか、すごく難しい言葉がぽんぽん出てくるし、僕が「ちょっと待った〜〜っ!」といわないとマエストロ、全然止まってくれないし(すごい勢いなんです)ね。
でも、得もしました。聞きたいところはどんどん質問できたし、何しろこの一年は文字通り、イタリアオペラの世界に没頭できました。それも「まがい」じゃなくて「本物のイタリアオペラ」です。ここがポイントです。その当時聞いた話だと、日本ではそれまでガルディーニ先生の指導がこんなに時間をかけて一つの場所で行われたことはなかったということで、僕らは本当に幸運だったのです。
ここから少し、専門的な話になっちゃいます。
オペラの詩というのは散文でなくて韻文です。ですから俳句や和歌のように決まりがある。そしてその決まりとオペラのスタイルや演奏法も関係があるわけです。韻の数が偶数か奇数かでこの詩、ひいては楽曲のキャラクターも変わってくる。例えばsettenarioという7シラブルのシステムはレチタティーヴォでもよく使われ、7と11とか奇数のシステム同士は結構行き来があるけれど、偶数のシステムは言うなれば「固い」ので、一曲同じシステムで変わらないことが多い。Ottonarioは8シラブルですが、オペラブッファでは冒頭の曲に必ずこれが使われるとかね。
そしてどこからどこまでがその詩での一行に属するかをわからずに歌ってしまうと、詩としての美しさを損なうことになる。音楽之友社から「名作オペラブックス」というシリーズが出ていますが、この対訳の部分をよく見ていただくと、一つの行の途中で他の人の台詞になったりしているところが目につくはずです。これは韻文の行の途中で台詞を受け持つ役が代わっているということです。このシリーズはドイツでも売られているシリーズの日本語版で、著者はドイツで活躍している人が主だけどRICORDIのマークがついているんですよね・・・。まぁいいや。
「ヴェルディは作曲家でなく、ドラマティスタだ。そしてプッチーニは作曲家でなく、詩人なのだ」とマエストロ・ガルディーニはよく言っていました。これは本当だと思う。モンテヴェルディは「音楽は詩の奴隷だ」といったそうです。
ガルディーニ先生は自身が優れたヴァイオリニストでもおられたんだけど、音楽家であるマエストロがドラマと詩に払っている敬意というのはすごいのです。これは言ってみれば作曲家がその詩の中に何を見て作曲したのか、という「作品の向こう側」を見る努力でもあります。
「Bellcanto è “cantare senza accentare”」(ベルカントとは「アクセントなしに歌うこと」である)とマエストロ・ガルディーニは何度も口を酸っぱくしていっておられた。これが、イタリアオペラの美学の基本でありながら、実はあまり一般には理解されていない事じゃないかと思う。ドイツ的センスでは「アクセント」というものはネガティブに扱われることはまずない。そして、必要のないアクセントを施してしまったのが今の、主にドイツの現代演出の流れと僕は思います・・・誤解を避けるために書くと、現代的な演出全てが良くないと思っているのでなくて、現代の演出の「流れ」のことです。この流れの中にあって素晴らしい演出を提供している演出家は沢山いらっしゃいますから。
アクセントなしに歌う、というこの一見単純で簡単に思える作業が如何に難しいか。これを見せつけられた一年といっても良いでしょうね。このガルディーニ先生との時間は。毎週3日間みっちり。「アクセントなし」の美学は、ソースに凝ったりするフランス料理に対し、比較的単純な味付けで素材の良さを活かすイタリア料理にもつながっていくように思えます。イタリアの民族性、イタリアの文化ですね。プレーンな味わいは素材が良くないと活きません。
言葉のアクセントと音楽のアクセントが重なっているところが多くあるわけですが、ここに演奏者がさらにアクセントをつけてしまう例が良くある。3重のアクセントです。これを「brutto!(醜い!)」と毛嫌いされるわけです。
これをやっちゃう方の気持ちもわかる。まずアクセントをつけると、何か演奏に「味付け」をしている気になれるから、「解釈」をしているような気がして安心するわけです。安っぽい安心です。
イタリア語の舞台語朗読の約束事の一つとして「アクセントで終わる言葉の次の単語の最初の子音が二重になって促音の様になる」というのがあるんですが、これも強弱の強の連続を嫌う上記のベルカント的美学の現れです。語頭には必ず「強」があるから、前の語尾の「強」と連続しないように「弱」を作るわけです。ガルディーニ先生が、単に演奏法だけでなくて、その裏に隠れたこういうコンセプトまでお話し下さったのは、この研修所でのカリキュラムで時間を十分与えてもらったからで、当時の研修所の英断には本当に心から感謝しています。
この時のノートをまとめる作業、かなり根気と知性が要求されます。結局は流れ作業的にまとめるわけにはいかず、当時のレッスンの内容を再体験しながらまとめることになりますから。でも、これを系統的にまとめることは大きな価値があると思う。
実際、僕のこの93年から94年にかけてのガルディーニ・メソッドのノートを欲しいと、ある音楽教育機関から頼まれて、汚い手書きのコピーしかないけれど・・・といいながらお渡ししたことがあります。これがその後どのように扱われているかは話を聞いていないけれど、今僕が自分で書いたノートをみて四苦八苦しているのだから、他人がそう簡単に一貫性を見出すのは無理でしょうね・・・。ガルディーニ先生のテンペラメントは本当にすごくて、話も結構飛ぶし、僕のノートはまるで「速記」です。当時、レッスンを受けながら、別のノートに系統立ててまとめようとし始めたんだけど、途中でギブアップしてます。情報量だけでもすごいんだもの。
夏のデュオ・リサイタルでのヴェルディと冬の「ラ・トラヴィアータ」に活かす、というだけじゃなくて、このメソッドをなんとか伝えられるくらいにまでブラッシュアップしたいです。根気と時間の問題でもありますが。頑張ろう。
こんにちわ!
mixiから来ました。
原田クラスでご一緒した小林です。
ご活躍ですね!
私の方はボチボチしぶとくやっています。
マエストロ ガルディーニの本が出たんですね。
早速買わなければ・・。
私もマエストロに出会い教えられた事にとても感謝しています。というか、それに支えられています。
若い時は行き違いもあって今は疎遠になりましたが、
あの頃の事を毎日の様に思い出します。
私は卒業しちゃったから、モッソとマエストロの関わりを、
貴方がそんな考えを持っているなんて、全く知りませんでした。大変嬉しいですね。
弱小ながらオペラ公演をやっているので、演出をマエストロに
頼みたいと思った事もありましたが・・・不義理をしてしまったので・・・
陰ながらマエストロを見守ろうと思います。
小森さんのご活躍これからも期待しています。
失礼しました。
>小林久美恵さん
お久しぶりです!!!お元気ですか?コメントをありがとうございました!
今すっかり回顧モードになっていました。小林さんが修士でオテロをされたときに、当時学部生だった僕に合唱をやらないかと声をかけてくださいましたよね?確かうまく時間が合わなくて出来なかったのですが、よく考えたらあれがガルディーニ先生の名前を聞いた最初だったかも知れません。「すごく勉強になるから!!」と小林さんがおっしゃってたのを良く憶えています。あそこから始まっているとしたら、小林さんが引き合わせてくださったことになります!
モッソってのも懐かしいです・・・。そのあだ名、ベルリン時代もある日本人の陰謀(?)で、僕が知らないうちに名前よりも覚えやすいこともあって広まってしまって、本名を知らない人も多いくらいです。
ベルリン時代の友人に会うとモッソ呼ばわり(?)されるんですが、ここのところ何年もあだ名で呼ばれる、ということがなかったものですから。故福森先生には「たいそうな名前で呼ばれてるじゃないか」と言われました。楽語だからでしょうね。ははは。
マエストロは一度イタリアに帰ってそろそろ日本に戻られると思います。不義理の話、具体的にはわからないですけど、連絡をされたらきっとマエストロは喜ぶんじゃないでしょうか。かくいう僕もドイツに来て以来、今回初めてお会いします。
またサイトにもいらしてくださいね〜